TATSUMI FUJIWARA 藤原 龍美 一級建築士

設計は出会いであり、ドラマだと思う。

1.設計との出会い

高校を卒業後は、化学を学ぶために入学した中央大学理工学部を一年で辞め、建築学科のある日本大学を再度受験して入学しました。そこから私の建築家人生が始まったといえます。 大工職人の父親の影響もあったのでしょうか、研究室に閉じこもっているような性分でないことに気づいたのです。モノづくりに携わりたいという欲求に駆り立てられるようにこの道への扉をひらいたのです。

学科内で設計の分野に進んだ私は、四年生の時に日本建築学会会長としてもご活躍された故木下茂徳先生の福祉施設建築の研究室に入りました。 在籍しながら、学校が終わると黒川紀章建築都市設計事務所でバイトする生活が一年間続きます。事務所内では、そのときサリールという砂漠地帯に都市を創るコンペ、またベルリンの再開発のコンペなど、海外事務部でコンペの手伝いをさせていただきました。 慌しい日々だったのですが、その時の経験 行ったこともない土地の漠然とした大きな課題を前に、とりあえずさまざまな資料や情報を集めてそこから何らかの取っ掛かりを見つけてそこを起点に計画を立案し煮詰めていくという、 まさに「無」からの創造のプロセスは若い私にとっては非常に新鮮で面白くあらためて建築の醍醐味を感じさせてくれるものでありました。その経験はいまでも私にとって貴重な糧となっていることはいうまでもありません。

2.多くの人との出会い

高校を卒業後は、化学を学ぶために入学した中央大学理工学部を一年で辞め、建築学科のある日本大学を再度受験して入学しました。そこから私の建築家人生が始まったといえます。大工職人の父親の影響もあったのでしょうか、 研究室に閉じこもっているような性分でないことに気づいたのです。モノづくりに携わりたいという欲求に駆り立てられるようにこの道への扉をひらいたのです。

その頃、大東町内で温泉が沸き「温泉施設シートピア」の構想を当時の大東町役場職員・故明石克郎氏らとともに手がけることとなり、その仕事をきっかけに設計に留まらず地域の振興事業や福祉施設研究、 観光開発などの企画、構想策定にも携わらせていただくこととなりました。そこで私はそれまでの「設計する側」だけでなく私に仕事を発注してくださる方の目線を再考させてもらうきっかけをいただきました。 さらには、そのプロジェクトが建物だけでなく全体として成功するためには何をすべきなのかという視点をより掘り下げる契機となったのは非常に有意義でありました。

3.新たな建物との出会い

私にとって建築とは建物をつくるプロセスであり建物との出会い、つまりその建物が立案されて形を成していく過程の中にあると考えています。

設計は「出会いでありドラマ」だといつも思うのです。必ずきっかけがあり、コンペでも紹介を通したものであっても常に出会いを通じて運命的な結びつきを確立します。 ひとつとして同じ物件はなく、一人として同じ施主はなく、あたりまえのことではありますが、いまこの時にこの場所にその建物を建てるチャンスは二度とないのです。 だからこそ私ははじめてこれから設計を手がけようとする場所に立つと緊張しながらも非常に感動的な瞬間を味わうのです。 人の話に耳を傾け、環境との調和、建物の持つ機能、どうすればよりよい建物となるのか、「プロ」として何を提案できるのか、それを考えながら試行錯誤を繰り返し一本一本線を引いていく時間、すべてがいまの私を形成しています。